第11回常念岳・焼岳大会

田淵行男記念館講演

講師 安曇野市教育委員会文化課 財津達弥 氏

http://tabuchi-museum.com/


おぶせ藤岡牧夫特別美術展

http://fujiokamakio.jp/


常念小屋 講演

日本人の「山好き」は?

 

 

長野県山岳連盟顧問 国際登山家
大会隊長 大蔵 喜福

 第11回坂口登山フェスティバルは常念岳と焼岳で行われた。毎年のように100人規模で全国から岳人が集う。その意義も回数を重ねると共に多角的に深まり大変楽しい会である。私も年に一度のこの行事を大切にしている。いい仲間ばかりだから。

 山行はここ数年良い天気に恵まれてきたが、今回の7月上旬は悪天となった。梅雨明け近くは天候に注意がいる。不安定な気圧配置や寒気の影響で山の天気は荒れる。6日、一ノ沢より常念乗越に上り詰めると、押し戻されるような強風に見舞われた。頂上をあきらめて小屋に入るが翌日の天気が気になった。そのうちに大粒の雨が小屋の屋根を叩く。

 翌朝は雨と強風の中、頂上までがんばって登ったが、悪天を学ぶ良い機会となった。自然を見縊ってはいけない。何人か見受けられた簡易雨具の方は、風に翻弄されて雨具の用を成していない。びしょ濡れの上、風に吹かれれば夏でも低体温症になり大事となる。しっかりしたウエア装備の準備は、安全対策として大人の社会的責任である。下山も雨の下降で雪渓などの崩壊もあり危険と隣り合わせとなった。

ベテランと呼ばれる岳兄諸氏にも加齢によるスキル低下、装備やウエアへの注意不足、いろいろと気になった山行だった。

さて、この行事には私の講話会がある。いつもはいさましい登山や海外の事情などをお話しすることの多いので、今回は趣向を変えて「日本人の山好きは?」というお題で・・・。

 国内でも有数なスポーツ用品メーカーのアドバイサーの仕事を引き受け、そこの登山スクール校長と、チェーン店展開をする登山専門店の登山教室講師をしているが、明確な登山ブームでもないのに学びに来る登山愛好家は非常に多い。近頃は登山好きの受け皿となっていた市井の山岳会が減衰し、その存在がほとんどみられない状況だから、その代わりを実践をメーカーや専門店が担うという構図なのだ。

 この講座で登山の魅力を話す。自然の中を歩く楽しみや健康的な運動としての登山、文化としての登山、未知への憧れ、冒険登山・・・「わが国の自然の素晴らしさやその多様性は、すでに一世紀も前の明治初期に時のお雇い外国人の発言などで知られている。植生に関しての多様性は"地球の宝"とも言われる。」こんな調子で話していたら、日本人の山好きには何か特別な理由があるのではないかと思うようになった。

 今、わが国の登山人口は500万といわれ、富士山には30万以上が押し寄せ、北アルプス全域では50万と言われる。わが国の全人口25人に一人は山好きということ。なんでそうなるのだろう?といろいろ考えるに、わが国には山が好きになるDNAが幾つもあることに気付いた。

 その一つは高山植物。もともと海を越え2万年前の氷河期にやってきた。今より海水面が130mも低い氷河地形の時、陸続きで北方より氷河生物の雷鳥等と共に移動してきた。中には、キタダケソウのように何万年もかけて南太平洋の石灰岩がはるばる転がってきて、日本列島に取り込まれ、そして隆起した特別な岩盤にしか生えない固有種もある。ほとんどが、文化財保護法で(特別)天然記念物に指定され、世界遺産あるいは国宝級の扱いである。このお花畑に魅入られているという事。

 世界的な視野からみるとずい分南に位置しているわが山々、しかもそれほど高くない山に高山植物がたくさん残っていることは、本当は不思議なこと。そのわけはわが国の高山が世界一強風・多雪という環境だからだ。高山植物はほとんどが北極周辺のツンドラやシベリア、サハリン、千島列島、カムチャッカ半島、アラスカなど、北方の寒冷地域から来たもので、根本的に酷寒に生きた我慢強い植物だからだ。その意味でわが山岳環境は高山植物に最適である。

 温帯中緯度に位置する日本には、四季が明確に存在し天候も雨、風、雪・・・と自然環境のすべての現象がある。なかでも雪を降らす水源、西北に暖流の入り込む日本海があり、世界的にも希有な強風・多雪という環境になるからだ。わが国のアルプス3000mはだいたい北緯36°あたり、ヨーロッパアルプスは46°だ。比べると緯度で10度違う。10度の距離は約1110km北方、気温差は緯度1°(約111km)で±0.6〜1℃で−10℃ほどの差がある。したがって高山植物もわが国より1000m低いところに咲く。

 その標高は1000〜2000mあたり、ちょうど森林帯や雑木林を牧畜のためのアルプに換えてしまった場所だ。高緯度のヨーロッパでは、環境条件上、第一次生産物が取れにくい事から、それを飼料として家畜に与える考えは元々無く、勝手に生えてくる草で牛を育てる無管理放牧だ。寒冷だから草の茎も伸びず比較的柔らか、いわゆる雑草も堅くならない。だからどんな草も餌に適し、高山植物も牛の餌になってしまう。肉とパンを主食とする狩猟民族の行う手間暇掛けない合理的?な牧畜の方法なのであるが・・・。ゆえ本場アルプスには高山植物の保護という考えは無い。高山植物と言えば、その生育に最適な条件を持つ日本と相場が決まっている。

 二つ目は雪の多さにある。雪はわが山々の最大の特徴で、積雪量は世界一。日降雪の深さでは関山、妙高で210cm、伊吹山230cm。最深積雪は真川で750cm、栄村・森宮野が785cm、伊吹山では1182cm、新潟の魚沼郡では818cmとなっている。立山弥陀ヶ原の春の名物"雪の大谷"の吹き溜まりでは15mを超える。日本の山岳には観測所が無いので正式な報告は少ないが、もっと凄い記録はまだまだあるはずだ。世界で同じような積雪のあるところは、カナダ海岸山脈とアメリカ・カスケード山脈あたりだけで、記録では日降雪の深さ193cmをコロラドで、最深積雪はカルフォルニア・タマラックで1153cmとある。いずれにせよ積雪記録ではわが国が世界で一番に代わりは無く、これも日本の特異な地形、暖流が流れ込む日本海という湖のような海を北西側に持っているお陰だ。人が住まう街が7〜8mという積雪地にあることすら"地球上の脅威"と欧米人は言う。世界には積雪1.5mもあれば街はできないといわれる。
 こういった豪雪地にわれわれはなぜ住まうか。雪という天然のプールが、米つくりに最高の養分を運んでくれる肥料水と解っているからである。

 江戸時代の書物に魚沼の人物、鈴木牧之の遺した"北越雪譜"という本がある。雪の中の生活を余すことなく著した物語であるが、当時の雪の生活での一級の資料、技術書で、これを読むと如何にわが日本人が雪と共存してきたかということと、雪に対する生活技術の高いことが解る。米作りのために辛い生活を甘受、我慢のなかにどう生きたのか。氷の世界でのエスキモーと同じように、深い雪の中で生活するテクニックは世界でもわが国の独壇場だ。こんなところにも日本人の山好きの素地が隠れている。
 いくら山が好きでも、冬に雪をラッセルまでして、お金を携え、山小屋に泊まり(あるいはテントを張って)登山をする山好き(山バカ)はわが国民以外、世界にはいないようだ。

 さて、三つ目は山岳信仰という山の神のことである。そもそもヨーロッパ人はキリスト教の教えで、ヒトが自然界の頂点に立つとされている。それゆえ自然はヒトが征服する対象であり、山には魔物が棲んでいるから闘うという概念がある。だから自然保護という観念は薄い。なにしろ100年以上も前に観光事業のために、登山鉄道や、ケーブルカー、ロープウエイを蔓延らせ、ヒトのすばらしさのみを誇示した国々である。日本では、山にキズを着けることを極力避けてきた歴史がある。

 ブロッケンの現象も農耕民族の日本では仏・菩薩の後光がさす光背となり尊い現象だが、ヨーロッパではキリストに光輪があるのに係わらず、悪魔のお出ましとなる。ここでも自然崇拝・山岳信仰で山には神様が住まうと考える日本人と異なる。如何に神様に近づこうかと考え登るヒトの行為と、そうでないヒトの違いは、ご来光を拝むかどうかでもわかる。手を合わせる欧米人はだれもいない。彼らにすれば山とは特別な人しか登らない所なのである。

 さて、他にも風が高山植物に大いに影響する。風衝地形、稜線の積雪等に関係あるからだ。その大元は日本上空を流れるジェット気流にある。東シナ海の北緯35〜25°あたりの上空12000m(200hPa)で寒帯前線ジェット気流と亜熱帯ジェット気流が合体し、60〜100m/sという烈風となる。平均でも21m/sという風が吹き荒れているのだ。なお、台風や山の風でヒトが飛ばされそうになる風の起立限界は32.7m/sであるが、日本ではこの凄い強風までを、風表示の範囲にしている珍しい国だ。風へんに具と書いて"ぐ風"という。お天気用語で風力12(最高値)の事だ。この数値は私自身、風の研究で実験したことがあるが、30m/sの風圧は、56.2kg/uという圧力である。山での最大瞬間風速は富士山で91、0m/s、最大風速も富士山の72.5m/sこれは台風の影響だが、これほど凄い風が北アルプスの冬にはいくらでも吹くといったら驚くだろう。観測所が無いので発表されないだけである。世界ではアメリカ東部にある、Mt.ワシントン(1010m) で最大瞬間 103.2m/sという記録があるが、日本はこれに匹敵するのだ。

 ところで話は変わるが、一昨年、北アルプスの立山東面御前沢の越年雪渓が氷河と認定された。長さ700m、幅200m、厚さ最大30mの日本最大級の越年雪渓が1ヶ月に30cm移動し、それで氷河と認定される。1年間以上動いたことで証明されたと言うのだ。ただ、高緯度にある氷河と違って、頂上からつながる氷河ではないので見る人も興味が湧かず、きっと『氷河まんじゅう』が室堂の名物になって終わりかな?と思うが、北海道に富士山程の高い山があれば本物の氷河がいまだにあるわけで、何とも無念という・・・あったらロマンチックなお話で・・・。

 いずれにせよ、明治の初め1894年に日本風景論を著した志賀重昴は、その著書の中で、『日本の自然(山)はスッキリしゃれた伸びやかな美』と記した。なんとも日本山岳のエッセンスを一言で著したよい言葉だと思う。こんな所にも日本人の山好きのなんたるかが解るような気がする。